HISTORY銀傘の歴史
戦前の大銀傘
1923年(大正12年)
11月28日
枝川運動場の名称の下に球場建設を決定
1924年(大正13年)
3月11日
起工式
8月1日
竣工式
「甲子園大運動場」と命名し、開場
12月
外壁にツタが植えられる
1925年(大正14年)
3月
外野右翼にスコアボード完成
1926年(大正15年)
7月16日
阪神電車・甲子園駅常設
1929年(昭和4年)
7月20日
アルプススタンドの誕生
1931年(昭和6年)
7月18日
アルプススタンドに鉄傘建設、大鉄傘の完成(内野スタンドのみ覆っていた鉄傘が1・3塁のアルプススタンドまで延び、外野を除く全スタンドが屋根で覆われた)
1932年(昭和7年)
10月1日
1塁側アルプススタンド下に室内体育館、3塁側アルプススタンド下に長さ25mの室内プールが完成。現在は、両方とも室内練習場になっている。
1934年(昭和9年)
3月25日
外野中央に新スコアボード完成
1・3塁アルプススタンド前に椅子席を新設
1935年(昭和10年)
12月10日
大阪野球倶楽部(通称:大阪タイガース)誕生。(現:阪神タイガース)
1936年(昭和11年)
11月11日
外野スタンド改装。それまでの20段からアルプススタンドと同様の50段の鉄筋コンクリート製に。
1938年(昭和13年)
1月9日
「全日本選抜スキー・ジャンプ甲子園大会」開催
喪失と復活
1943年(昭和18年)
8月6日
大鉄傘が金属供出のため取り壊され、甲子園のシンボルが消失
1945年(昭和20年)
8月
焼夷弾攻撃により、グラウンドに数千発の焼夷弾が突き刺さる。1塁側アルプスから外野にかけてのスタンド下は火災を起こし、外壁を被っていたツタも真っ黒焦げになった
1951年(昭和26年)
7月5日
内野スタンドにジュラルミン製の銀傘(2代目)が復活
1956年(昭和31年)
4月25日
ナイター設備完成
1959年(昭和34年)
4月
ボックス席拡張のための改修工事が行われ、増席される
1964年(昭和39年)
2月14日
球場の正式名を「甲子園球場」から「阪神甲子園球場」に変更
1978年(昭和53年)
3月
3塁アルプススタンド下、温水プール跡に室内練習場を新設
3代目時代
1982年(昭和57年)
3月
銀傘がアルミ合金製にふき替えられる(3代目)
1984年(昭和59年)
3月
電光式スコアボード完成
1991年(平成3年)
12月5日
45年間親しまれてきた「ラッキーゾーン」を撤去、それに伴いブルペンを移設
1993年(平成5年)
2月28日
スコアボードのカラーボード化工事が完了
1995年(平成7年)
1月17日
阪神・淡路大震災でアルプススタンドの一部に亀裂が入る
平成の大改修
2007年(平成19年)
10月
リニューアル工事の着工
2008年(平成20年)
3月11日
第Ⅰ期リニューアル工事完成(内野エリアリニューアル)
2009年(平成21年)
3月12日
第Ⅱ期リニューアル工事完成(アルプス・外野エリアのリニューアル/照明塔・銀傘の新設(4代目)、銀傘は3代目の1.4倍の面積となり、ガルバリウム鋼板製に/ツタの再植樹)
2010年(平成22年)
3月
第Ⅲ期リニューアル工事完成(球場外周の整備など)
3月
銀傘の上に「太陽光発電パネル」を設置
2019年(平成31年)
3月
スコアボードを1面化・大型化
2021年(令和3年)
12月19日
「KOSHIEN “eco” Challenge」宣言
2022年(令和4年)
3月
ナイター設備をHID式からLED式に更新
「大」銀傘へ
2024年(令和6年)
8月2日
「銀傘拡張構想」の計画内容を発表
2025年(令和7年)
10月
着工
2028年(令和10年)
竣工予定