大正
球場建設を決定
1924.3.11起工式
阪神電気鉄道・三崎省三専務は日本で野球が盛んになると考え、また、鳴尾球場で開催していた高校野球が観客を収容しきれていないことから、甲子園大運動場の建設を推し進めた。一方、兵庫県は氾濫を繰り返す武庫川下流の枝川と申川を改修して廃川とし、これによってできた土地を阪神電気鉄道が買い取り、球場建設地となった。グラウンドの土は人力で運び込まれ、牛にローラーを引かしてならした。
第2回全国選抜中等学校野球大会開催
阪神電車の甲子園駅常設
昭和
第13回選手権大会で日本初のスポーツ実況中継(ラジオ)
芝生張付け終了
1929.7.20アルプススタンド建設
木造スタンド20段を、内野スタンドと同じコンクリート50段・高さ14.3mに改装した。「アルプススタンド」の名称の由来は、芸術家・岡本太郎の父である漫画家・岡本一平が描いたイラストであった。大阪朝日新聞に掲載され、イラストの横には「そのスタンドはまた素敵に高く見える、アルプススタンドだ」と添えられた。
アルプススタンドにも鉄傘建設
1932.10.11塁側アルプススタンド下に室内運動場、3塁側アルプススタンド下に長さ25mの室内温水プール完成
1塁側アルプススタンド下に室内運動場、3塁側アルプススタンド下に長さ25mの室内温水プールがつくられた。室内運動場では柔道や剣道、バスケットボールなどが楽しまれ、室内温水プールでは、冬期の競技大会や練習・予選などが行われた。
1934.3外野中央にスコアボード完成
1934(昭和9)年建設のスコアボードは二代目。初代は右中間にあり、1933(昭和8)年の第19回全国中等学校優勝野球大会では、延長25回となった明石中対中京商戦でスコアボードが足りず、板を急遽継ぎ足して試合を行った。二代目はコンクリート製となり、ヒットなどを表示する赤・緑ランプとボールカウントを、圧縮空気を使った電圧式でネット裏から遠隔操作するなど、当時としては画期的な設備であった。
1934.8.11野球塔建設(現在の甲子園警察署付近)
初代野球塔は第20回選手権大会を記念して建設。柱には優勝校名と選手名が刻まれた銘板が設置された。その後、第二次世界大戦で崩壊してしまい、銘板も軍へと供出された。2010(平成22)年の阪神甲子園球場リニューアル時に、2分の1の大きさで球場レフト側外周に復活した。
1934.11.24ベーブ・ルースらのアメリカ選抜チームが全日本と対戦
1934(昭和9)年、ベーブ・ルース率いる選抜チームが、日米野球のため、来日。日本は、職業野球チームで臨んだが、0勝16敗と惨敗した。この時のチームがのちに、「大日本東京野球倶楽部(現在の読売ジャイアンツ)」となり、日本のプロ野球リーグ誕生のきっかけとなった。1948(昭和23)年に逝去し、翌年には親善の偉業を称え、阪神甲子園球場に記念碑が建立された。
1935.12.10大阪野球倶楽部(通称 大阪タイガース)誕生
1936(昭和11)年4月19日の球団結成記念試合までに、若林忠志や景浦將など17名の選手を獲得した。初代監督は森茂雄が務めた。
1936.11.11外野スタンド改装
甲子園大運動場は誕生してからも拡張が続けられた。1929(昭和4)年に建設されたアルプススタンドに続き、外野スタンドも1936(昭和11)年に現在の規模に改装された。
1938.1.9全日本選抜スキー・ジャンプ甲子園大会開催
外野スタンドに30mの木造やぐらを設営。新潟県などから雪を汽車で運び、大会前夜から徹夜で敷き詰めた。溶けないよう、塩をまき、ムシロをかぶせて保管された。
西宮大空襲
アメリカ軍に球場接収
グラウンドとスタンドの接収解除
選抜大会復活(以降、選抜高等学校野球大会として現在まで開催)
1947.5.26ラッキーゾーン登場
阪神甲子園球場は、野球以外のスポーツも楽しめるように設計されたため、グラウンドが大きく、ホームランが出づらかったことから、後楽園球場の広さに合わせてフィールドを狭める仮柵を設置した。その後、時代の流れに合わなくなり、1991(平成3)年に撤去。
夏の大会も復活(以降、全国高等学校野球大会として現在まで開催)
第35回全国高等学校野球選手権大会でテレビ中継開始
球場全面的に接収解除
1956.4.25ナイター設備竣工
この年、スタジアム照明が初めて設置され、同年5月12日の阪神・巨人戦で最初のナイター試合が開催された。オレンジがかった白熱電球と、青白い水銀灯を組み合わせた2色の照明は「カクテル光線」と呼ばれ、仕様を変えながらも伝統として現在まで引き継がれている。
初ナイター試合(阪神-巨人戦)
選抜野球塔 建立
第40回全国高等学校野球選手権大会に沖縄代表初参加(首里高校)
球場正面に高架道路ができる
球場名を甲子園球場から阪神甲子園球場に変更
第56回全国高等学校野球選手権大会より金属バットの使用開始
特別指定席をプラスチック製の個人掛け椅子に改造
銀傘ふきかえ(アルミ合金)
1984.3.6三代目(電光式)スコアボード完成
阪神甲子園球場を印象付けるシンボルでもあるスコアボード。現在まで鎮座する三代目はこの年に誕生した。その後、1993(平成5)年の表示面の一部カラー化、2011(平成23)年のLED化、2019(平成31)年の表示面一面化・大型化と改修を続けている。
各スタンド改造 周辺改良工事
平成
1991.12ラッキーゾーンを撤去、それに伴いブルペンを移設
ラッキーゾーンにあったブルペンは1・3塁ボックス席前のファウルグラウンドに移設され、ブルペンとベンチをつなぐ電話などの設備も設けられた。
スコアボードをカラー化
1994.10「甲子園大運動場建設記念碑」建設
阪神甲子園球場70周年を記念したブロンズ・御影石製のモニュメントが、朝日新聞社、毎日新聞社、日本高等学校野球連盟から寄贈された。
1995.1.17阪神・淡路大震災
アルプススタンドの亀裂やグラウンドの地割れなどの被害が発生した。3月の選抜大会の開催が危ぶまれたが、大会は予定通り開催された。
阪神タイガース新室内練習場完成
阪神甲子園球場80周年
フリーボードをCRTからLEDに更新
阪神タイガースクラブハウス完成
リニューアル工事着工(第Ⅰ期)
2010.3.12リニューアル工事完了
2007(平成19)年10月に着工したリニューアル工事では、「歴史と伝統の継承」、「安全性の向上」、「快適性の向上」というコンセプトに沿って、球場全体が大きく生まれ変わった。「甲子園歴史館」もリニューアル工事完了の2日後にあたる2010(平成22)年3月14日に開業。2022(令和4)年3月には移転リニューアルし、球場南側の「甲子園プラス」2階に入口を構えている。
阪神甲子園球場90周年
令和
阪神甲子園球場95周年
甲子園駅前広場の整備事業が竣工
2021.12.9KOSHIEN “eco” Challenge宣言
阪神甲子園球場では、環境保全プロジェクト「KOSHIEN “eco” Challenge」を2021年12月に始動。「廃棄物発生の抑止とリサイクルの推進」「CO2排出量の削減」「再生可能エネルギー等の活用」の3つのテーマを設定し、さらに「環境にやさしい球場」を目指している。
2022.3ナイター設備をHID式からLED式に更新
2022(令和4)年、阪神甲子園球場のナイトゲームを支えるスタジアム照明は、環境保全の取組み「KOSHIEN "eco" Challenge」の一環として、LED式の照明にリニューアルされた。LED式となった現在でも、複数色の照明による「カクテル光線」の伝統を継承しつつ、音響やビジョン映像と連動した光の演出で、より球場が一体となった演出を楽しむことができるようになった。
2022.3.3甲子園歴史館、甲子園プラスに一部拡張移転のうえリニューアルオープン
阪神甲子園球場南側の「甲子園プラス」に甲子園歴史館の展示エリアを一部移転拡張し、より充実した展示内容となり、リニューアルオープン。シミュレーション野球「BE-STADIUM KOSHIEN supported by STAND IN」も併設。